« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月30日 (金)

NGC7023付近

7023

 

 

遠征で、ガラッドの次に撮った7023付近。

その場の思いつきだったので、フレーミングミス、露出不足などありますが…。

トリミングなしの全体画像はこのようでした。↓

 

 

7023_2

| コメント (0)

2011年9月28日 (水)

2009P1 Garradd

Garradd2lrgbtr3


昨日のGarradd、やはりカラーでないのが気になって、

2枚のLと、その間のRGBワンセットで、LRGB合成、カラー化してみました。

しかし、彗星の姿も、特にこれといった特徴がないし、背景にも、星団とか、星雲などもなく、せめて明るい輝星のひとつでもあればと思うのですが、残念です。

右上の星像がよくありませんが、スケアリング不良のためです。

彗星を撮影後、これは調整し直しました。

ピクセル×0.5 40%程度にトリミング

| コメント (0)

じつに久しぶりの遠征

Photo_5


台風が過ぎ、秋らしく、涼しくなってきたこともあり、なんだか珍しく出かける気分で、長い間使っていなかった発電機を持ち出したが、エンジンがかからない。

 
プラグを点検すると、ずいぶんヘッドが汚れていて、掃除してみた。

Photo_6


しかし、同じなので、よく見ると、排気口が詰まっている。
ジガバチが巣を作ったらしい。

Photo_7


この土を取り除き、ついでにマフラーも詰まっていないか、点検。

Photo_8


しかし、それでもかからない。

 
ガソリンが古くてだめなのかもしれないが、バイク店に持ち込んでみてもらう。
まず、キャブレターのガソリンを抜き取り、ついでに、タンクのガソリンも入れ替える。

しかし、結局、悪いのはプラグでした。
プラグを新しいものに交換したら、やっと動き始めました。

 
しかし、エンジンの動作に時折、異音が入り、どうも安定していません。
これは、オイルが多すぎるためと思われ、後にオイル交換、量も適正になるように注意。
この発電機は、オイルが少なくなると、エンジンが停止するようになっているので、そのようなことのないよう、オイルをできるだけたくさん入れるようにしていたのが、よくなかったようです。オイル交換後は、エンジンの動きもスムーズになりました。

 
 
ということで、9/22、23日は快晴の秋らしい空だったので、仕事帰りながら、OACのメンバーと合流することに。

 
 
初日は、ε180EDの斜鏡ネジが緩んでいて、さんざんな星像でした。

 
帰宅後、さっそく光軸を修正し直して臨んだ23日は、スケアリングの調整もだいたい思った方向に進み、完全ではないものの、テスト撮影は意外に順調でした。

 
 
この日の一枚目、Garradd彗星。
動きが遅いので、LRGB合成もいけると踏んだのですが、結果はさにあらず。
まあ、見頃を迎えている彗星が、一時間もじっとしていると考える方がどうかしている。で、カラー合成を諦め、各フレームをモノクロとしてコンポジット。

Garradd110923_2


まだ、スケアリングが狂っています。

 
 
 
夜明けまでいたのですが、撤収後、ε180EDの鏡をみたら、露ですっかり曇ってしまっていました。
こりゃ、最後に撮影したフラットが合わない可能性があるなあ、と今回初めての挫折感。

  
初めての場所で、帰り道も迷ってしまいましたが、眼下に見る雲海と、自然の美しさにちょっと感動。

Photo_9

| コメント (0)

2011年9月27日 (火)

今年も秋だ、まつりだ!?

昨年で少し懲りていたこのまつり、天気予報で、曇りや雨が連続することになっていて、今年はないものと安心していたが、直前になって、この晩だけはなぜか晴れる予報に。

昨年と同じく、32センチのニンジャを持参したが、入り口で、ザ・ガードマンが行く手を遮る。
「会場の駐車場は満杯で入れません、1kmほど先のゴルフ場の駐車場に止めて歩きなさい。」
「わしゃあ星見スタッフじゃー、積んどる望遠鏡を1kmも持って歩けるかっ!」
「来るのが遅すぎる。」
「星は日が暮れて見るもん、昼間から来るわけねーじゃろ。」
ごたごたして、だめならすぐ引き返す条件でなんとか入場。
この時点でいささかむかむかが始まる。

中に入ると、本当に車を止める余地はなさそうで、主催者指示を仰ぎ、出入り口をふさぐようになるが、スタッフらの駐車場の入り口の茂みの横に無理矢理駐車。車から出ようとしたら、まともに蜘蛛の巣に引っかかってしまった。手には気味の悪いグニャグニャしたものが…蜘蛛が糸でぐるぐる巻きにした餌らしい。んもーっ。

Photo

望遠鏡の設置場所はなんと木の根元の盛り土をしてある所で、地面が斜め状態。石の囲みがあるが、送迎バスが往き来するので、その囲みから出てはいけませんとのこと。
「はあ~ん、樹の下?」
見上げると、樹の枝が張り出していて、天頂方向は見えませぬ。

2

それに、頭に来るのが、ステージのPAのボリュームがやたらとでかくて、私は一番遠くにいるのですが、それでもやかましくて、話をするにも声を張り上げるようにしなければなりません。しばらくいると頭痛がしてきました。

西の空のM13を導入しようとしたら、手前の屋台の明かりが邪魔をしてヘルクレス座あたりの星の並びがさっぱりわからず、少し離れた暗いところに往ったり来たりして、位置の見当をつけ、なんとか勘でニンジャに導入。

送迎バスがしょっちゅうそばを通過し、そのたびに、見ている人に、危ないので、よけて下されと言わねばならんし、いったいなんなのこれは、ハア?

ちょっと目を離していたら、子供たちが集団でやってきて、祭りでもらった光る棒のようなものを束にして望遠鏡の中につっこんどるし、私のニンジャは引き倒されるし、昨年と変わらぬドタバタでした。

それでも何組かの人がこの星見を楽しみにしていたと待っていてくれたのには、ちょっと驚き、感激。ちょうど枝と枝の隙間に顔を出したベガを見たり、しまいにはアルビレオもぎりぎり見ることができました。
片付けをしていたら、駆け込みでやってきた若いお父さん、足継ぎを片付けた後だったので、子供をおんぶして接眼鏡をのぞかせている姿はほほえましかったです。

いつものように最後はなぜか花火で、ど~んとやってくれ!!
来年は、………??? です。

| コメント (0)

2011年9月 2日 (金)

秋の旅―谷崎を訪ねる

台風12号の接近している9月1日、私の師と尊敬する谷崎潤一郎を二人で訪ねた。
新幹線を新神戸で降り、市営地下鉄で三宮まで。
そこで阪神電車に乗り換えて、魚崎まで行く。
雨が降っていて、魚崎の駅で傘を買いに走る。
Photo

道に迷い、通りがかりの地元の人に尋ねて、やっと到着。
あいにく、今日は閉館日で中に入ることは出来なかった。

Photo_2

細雪の舞台となった倚松庵。
昭和63年、新交通六甲アイランド線を通すため、持ち主から倚松庵を譲り受けて今の場所に移築したという。
谷崎は昭和11年から18年まで松子婦人とその二人の妹とともにここで暮らした。

Photo_3

玄関先に置かれた石碑。

Photo_4

倚松庵の玄関

Photo_5

二階の8畳の間。
「こいさん、頼むわ。」
細雪の冒頭、幸子が刷毛で襟を塗りかけている場面はこの部屋の中だった。
「猫背ではないが、肉付きがよいので堆く盛り上がっている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面に秋晴れの明かりがさしている色つや…」と谷崎らしいエロスの漂うこの書き出しの部分は、鮮烈な印象がとてもすばらしい。

Photo_6

1階の居間。
奥畑が訪ねてきたり、妙子の舞いの会があったりと、登場場面は一番多い。
悦子も、二階の自分の部屋にいるよりも、ここで過ごす時間の方が長かった。

Photo_8

 

次いで、阪神電車で芦屋駅まで行き、そこからしばらく歩く。

Photo_7

谷崎潤一郎記念館へ。

Photo_9

ここでは、常設展「谷崎潤一郎・人と作品 特設企画展示「肉筆の中の文豪」
~谷崎潤一郎自筆原稿特集展示~」を2011年7月1日(火)~9月25日(日)の期間、開催しているところだった。

Photo_10

松本清張の「昭和史発掘」には、谷崎が妻の千代子夫人を友人の佐藤春夫に譲ったという、当時、スキャンダラスに騒がれた事件について書かれているが、私が谷崎のプライベートについて知っていたのはその程度だった。

「痴人の愛」はなんと千代子夫人の妹がモデルだった。
松子夫人は3人目の妻で、その前に古川丁未子との結婚があった。
この古川夫人とのいきさつはよく分からないが、写真だけから想像すると、なぜ谷崎はこの女性と結婚したのだろうかと、ちぐはぐさを感じる。
新婚から間もなしに、谷崎は後の松子夫人と出会っており、どうもすぐに谷崎の関心は松子夫人のほうに移ってしまったようだ。

倚松庵の夢には、谷崎の松子夫人への手紙が紹介されている。
「一生ご寮人様にお仕えすることができたらそのために身を滅ぼしても無上の幸福です…」とはじまり、「崇拝する高貴の女性がなければ思うように創作ができない」と続く。
ここは本音だろうが、終わりの方では、「もしご寮人様と芸術とが両立しなければ喜んで芸術の方を捨ててしまいます。」と、自分は芸術至上主義で、女性はあくまでその起爆剤だということが露呈してしまいそうになり、慌てて言いつくろっているが、どう考えても、彼が芸術を捨てて、夫人をとることはあり得なかっただろうと思えてくる。

晩年には、松子夫人の先夫との間の息子の嫁の千萬子に入れあげて、瘋癲老人日記が生まれるが、そのこともひとつの傍証になるだろう。

この記念館で一番の興味は、しかし、そのような女性関係云々ではなく、谷崎の自筆の原稿を見ることだった。
谷崎の原稿は、鉛筆か、毛筆で書かれており、万年筆では紙が破れてしまうと、使うことはなかったようだ。
細雪の原稿が、あまり大きくはない枡目に、一文字一文字毛筆で丁寧に書き込まれているのには驚いた。
そして、一番の衝撃は、幸子が昔嫁ぐときに書いた歌で、当初の細雪が締めくくられていたということ。
最終的には、雪子が自分が嫁ぐときに、その歌を「はからずも思い浮かべていたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。」と変更される。

もし、当初の形で終わっていたなら、なんだか古くさい、ぼんやりとした印象しか残らなかったかもしれない。
下痢をここに持ってくることについては、よく議論の的になるところだが、このように書き換えたことで、作品はくっきりとリアルで鮮明な印象を読者に残したと思う。この差はとても大きく、谷崎の天才を感じる。

それにしても谷崎はほんとうに自由に、好きなように生きた。
細雪のような作品は戦時下にふさわしくないと、刊行を軍から禁止されるが、そんななかでも書き続け、私家本を上梓するなど、当時の権威をものともしないその姿勢は痛快ですらある。

女性関係を始め、倚松庵の家主との経緯など、生身のなまなましい谷崎の一面を知ることになったが、そのことで彼の作品の価値がいささかでも揺らぐということは決してないだろう。

| コメント (0)

2011年9月 1日 (木)

The Great Orion

Great_orion_3


やはり、オリオンはすばらしい。

はやく、これをまともに撮ってみたいもの。

| コメント (0)

M60など

こちらは東半分。

何をしたかというと、ノイズ部分をトーンカーブ調整でカットしただけ。

 

M89e

| コメント (0)

M90など

おとめ座銀河団の画像があまりに汚く、見苦しいので、再処理した。

しかし、眼が疲れて、モニターを正視できなくなってしまった。

 M89w

| コメント (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »