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2011年11月

2011年11月30日 (水)

M78

M78blog3


先週、撮影したM78付近の画像です。

ε180ED+STL11000M

L 8分20秒×10

RGB 各8分20秒×3

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2011年11月29日 (火)

秋の旅 飛鳥2

飛鳥寺から南へ。

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酒船石。
酒の醸造に使われたのではなどの説があるが、本当のところは謎に包まれている。

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蘇我馬子の墓と推測されている石舞台古墳。
たしかに、古墳の土が流されて、石室が露出したもののように見える。
野原にぽつんとあるのかと想像していたが、現代の人工的に造成された公園の中にあり、当時の様子を想像するのは困難。見学するには、入場料が必要。
連休で、たくさんの人が訪れ、バスがひっきりなしに出入りし、道を歩くのもたいへん。

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石舞台の石室内から

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石舞台古墳のある国営飛鳥歴史公園の中のレストランで、古代米を使ったカレーの昼食。

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石舞台に行く途中に寄る予定が、通り過ぎてしまったので、引き返した、飛鳥板蓋宮跡。
もちろん、これは推測で言われているだけで、確認されたわけではない。
ここが板蓋宮跡なら、蘇我入鹿が皇極天皇の目の前で、中大兄皇子に殺害されたという、大化の改新での乙巳の変はここで起こったということになる。
背後に見えるのは甘樫丘で、蝦夷が息子の死を知るのに長い時間はかからなかったことだろう。
蝦夷は自ら邸に火を放ち自害したと伝えられている。

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聖徳太子生誕の地と伝えられている橘寺。
ここで聖徳太子は仏典の講義を行ったという。

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境内にある二面石。
飛鳥の当時から存在していたという。

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亀石。
このような不思議な石の遺物があちこちにある。

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天武・持統天皇陵のある丘。
丘の上にあって、畑の側ではおばあさんが柿を売っていた。

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2011年11月28日 (月)

秋の旅 飛鳥1

11月の後半、かねてから行ってみたいと思っていた明日香村を尋ねてみました。

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橿原神宮前駅で降りて、レンタサイクルで、橿原神宮へ。

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境内には、七五三詣での親子連れの姿が。
背後の山は大和三山のひとつ、畝傍山。

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神武天皇陵
もちろん、神武天皇が実在したかどうかは不明。
神武天皇が東征してここに宮を定めたと伝えられていることから、明治になって橿原神宮が建てられ、ここに陵を祀っているのだろう。

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天香久山に向けて自転車を走らすと、途中に本薬師寺跡が田んぼの中にあった。
天武天皇が后の病平癒を祈願して建立したとのこと。

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天香久山のふもとにある天岩戸神社

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この日の目当てのひとつ、甘樫丘の頂上。
ハイカーらがたくさんいて、弁当を広げていた。
さながら、花見の頃を思わせる人出に驚く。
蘇我蝦夷と入鹿が居を定めた場所で、付近一帯がここから見渡せる。
この場所から飛鳥を見下ろして、天下はわがものと思ったかどうか?

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甘樫丘から遠望する耳成山

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甘樫丘の東に位置する飛鳥寺。
法興寺と呼び、仏教を日本に導入したい蘇我氏が、初の寺院として建立したと伝えられる。今は狭い境内だが、当時はもっと大きな広がりがあったようで、外の田んぼの中で、発掘が行われていた。

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本尊の飛鳥大仏。
鞍作鳥によって作られた日本最古の仏像。

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その横にある聖徳太子像

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飛鳥寺を西に出たところにある入鹿首塚
当時は、飛鳥寺の境内だったのだろう。
背景の木立は、甘樫丘。

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2011年11月23日 (水)

Pleiades 再々







M45colorsss


私の手に負えないプレアデス、すっかり苦手意識にとらわれて、怖じ気づいていたのに、どうしたわけか、よせばいいのに、2年前の画像を再々度、処理し直してみたが…

RGBは各3枚ずつ撮っていたが、今回よく見ると、3枚のRのうち2枚が、ガイド不良の失敗画像だった。今まで、気づいていなかった。happy02

それにしても、青くないプレアデス、彩度を上げる場合、RやBの領域から、Gを引いたりしていたが、それでは追っつかないと言うことで、今回は、色調変換で、緑を青に転がすという、強引な方法に打って出る。

そのままでは、赤が緑に転がってしまうので、転がってほしくないところはマスクで押さえたつもりだが、そのマスクが結構不自然で、いろいろと破綻しているかもしれない。

こんなにしても、まだまだ青が足りないように思う。

×RGBをビニングで撮っているので、星にもへんな色シミができてしまう。たぶんプリントには耐えられないでしょう。

〇は、今まで、北を左にしてきたが、素直に北を上にすると、なぜか星雲の見栄えはいくらかよくなったように感じる。単に気のせいか?

まあ、新しく撮り直した方が近道だとは思います……はい。

PS.:淡い星雲を出すようにしていたが、モニターによってはひどく見苦しいものもあり、無難なものと交換して、再UP。おもしろくないM45だが、やはりこれが限界?

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2011年11月19日 (土)

秋の旅 百済寺

百済寺は、くだらじではなく、ひゃくさいじと読むそうです。

推古天皇の時代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建された古刹であると、パンフレットに書いてありました。

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参道の入り口の山門。
ほとんどの人は、ここから歩かず、脇の車道を車であがってしまう。もったいない。

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長い参道を上ると、大きなわらじのかかった仁王門に到着。

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仁王門をくぐると、巨大な杉の古木が迎えてくれる。
ここの空気は精気に満ちて特別だった。

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木漏れ日が美しい。

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喜見院の庭

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池泉回遊式の庭園

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季節外れの桜が咲いていた。

このあと、境内で炊き込みご飯の松茸弁当に舌鼓。

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その後、彦根に戻ったら、彦根城の前にものすごい人だかり。
城まつりパレードということで、人気のひこにゃんも登場。

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2011年11月18日 (金)

秋の旅 永源寺

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駐車場に車を駐めて、橋を渡る。
山水のいい眺め。水は濁っているが…

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土産物の店や食事の店が連なる入り口。
寅さんでも出てきそうなどこか懐かしい風景。

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参道脇の岩に十六羅漢像。
岩を切り出したようにも見えるが、他所で彫ったものを載せているようだ。

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鬱蒼とした樹のトンネルの中を続く参道。
なんだか期待が高まり、いいところに来たと実感する。

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総門の受付で入山料を支払うが、その前にここでお清め。

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見事な二層の屋根をもつ山門。とても立派です。

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禅寺ですが、境内にも線香を売る店とかあり、カラフルで華やいだ雰囲気がありました。

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本堂です。

開山は、岡山県勝山、美作国に生まれた寂室禅師だそうです。
美作といえば、法然を連想しますが、法然は1212年没で、1290年生まれの寂室と出会うことはありません。同時代といえば、後醍醐天皇が1288年生まれでした。
鎌倉末期から建武の新政を経て室町時代を生きた禅僧で、中国にも渡ったようです。
この寺の創建は1360年なので、寂室は70代、当時としては長命だったのでしょう。

建物はその後の戦乱で焼け落ち、荒れ果てたそうですが、江戸になって彦根藩主井伊家らの帰依もあり、再興されたとのことです。


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こちらは法堂。

今回は、紅葉が始まる直前でした。
京都のお寺は、あまりにも俗化しすぎて近寄る気にもなれない所が多いように思いますが、滋賀県とか、岐阜県などは、京都から適当な距離を保っていて、いい穴場がたくさんあるような気がします。

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2011年11月17日 (木)

秋の旅―伊吹山

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↑伊吹山ドライブウェーの車窓から見上げる伊吹山

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↑左遠方が名古屋市方面らしいが、靄があってよく分からない。

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↑奥の細道の終点・大垣で芭蕉が詠んだという俳句

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↑山頂が駐車場かと思ったら、ここからさらに40分ほど歩くのだとか。

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↑登山道

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↑山頂付近から西を見下ろす。琵琶湖の湖岸が見えている。

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↑山頂には、日本武尊の像が祀られていました。

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2011年11月 6日 (日)

秋の旅―関ヶ原

滋賀県あたりの秋も、今年が見納めになりそうということで、家族ででかけました。

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国道21号(中山道)を東に、関ヶ原を目指します。

車から遠望する伊吹山。

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関ヶ原で評判のそば屋で昼食。

麺はとてもこしがありました。

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田んぼの広がる中、天下分け目の戦いでの決戦地だそうです。

Sekigahara4

近くで人だかりがしています。

白頭巾の武者が私に近づいてきました。

なぜか、腰にはかわいい犬のぬいぐるみがぶら下がっています。

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「おぬしはどちらからまいられた。」

「岡山からです。」

「宇喜多殿じゃな。」

「ははー<m(__)m> …ハア?」

この人は、敦賀城主、大谷吉継殿だそうです。

西軍の敗戦を予想しながら、三成の熱意にうたれ、参戦したそうです。

背後に見える武将は、島左近殿でしょうか?

おっかけの歴女たちに取り囲まれています。

もう一人、石田三成殿もいたのですが、うちの家族と話し込んでいました。

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近くの笹尾山という、小高い丘のようなところに石田勢の陣地がありました。

 

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矢来。

三成が防御のために二重にめぐらしたものだそうです。

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石田三成の陣地から関ヶ原を見下ろしたところ。

左手の山裾のあたりが徳川の陣地だったらしい。

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