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2015年5月

2015年5月25日 (月)

IC1396

1396_rgb_

5/13 23h04m~ 吉備中央町 ε180ED STL11000M L:450s×15 R:5m×3 G:5m×2 B:5m×5 (RGBは2bin)

またしてもやってしまった画角ミス。星の位置と星雲の位置関係を事前によく調べておけばいいことなのだが。

「ところでRGBのビニングはステライメージのソフトビニングがあるので撮影では無意味との話。アプリでピクセルを合算するのであれば、そうなのだが(SNでやや不利な可能性はある)、経験則的には納得しがたい。ハードビニングが無意味なら、ダークやフラットも省略できて、いいことづくめではあるのですが、検証といってもね、…ソフトビニングに意味があるかどうかはすでにある画像で確認できそうですが。 輝度とカラーを同時撮影できるなら、それこそ無意味な問題ではあります。」 (「」内は前の記事以前に書いたもの)

※トリミングでは、中途半端な画角で、ぜんぜん面白くないので、失敗したなりにノートリミングで再掲。しかし露出もだが、なにもかも中途半端というほかない。

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2015年5月23日 (土)

ソフトビニングに意味があるか?

Photo
 
…というわけで、ソフトビニングに効果があるか試してみました。(暇人か!)
使ったのは、2年前にビニングなしでカラーを撮影した洞窟星雲の画像です。
RGBを各10分間×3、ビニングなしで露出しています。
各色30分も露出したのに、カラーの情報量が貧相で、サビシーと感じていました。
 
上がソフトビニングしたもの、下はソフトビニングなしで処理したものです。
やっつけ処理で正確な比較というわけにはいきませんが、まあ、違わない、強いて言えば上のほうが色がピーキーになりやすいのではないかと思います。これはどちらも同じように色彩強調したせいでしょう。
 
思うに、天体からの光を16bitのカメラで電気信号に置き換える時点で勝負はほぼ決しているのではないでしょうか。
 
(以下は推測です)
まずSN、淡い星雲で、ノイズの上にシグナルがすれすれ乗っているような場合、ソフトビニングではノイズもビニングしたピクセル分足されます。
ビニングで撮影の場合は、そこまでノイズは増えないだろうと想像します。
 
そして、階調。ビニングなしで撮影し、少ない光子量をデジタルの網ですくって、あとで合算すると、合計値では同じでも、途中の階調が飛びがちになってしまう。
はじめからビニングして、たくさんの光子量をデジタルの網ですくうほうが階調は確保しやすい(階調豊かで、色にコクがでる)、というようなことがあるのではないでしょうか。
 
ノイズゼロで、無限大のbit数のカメラが存在すれば、こうした問題は起こらないのですが、そういうことはあり得ません。なぜなら、そもそもシグナルはノイズだし、飛びがない階調はあり得ないからです。

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2015年5月 9日 (土)

M17~M24

M1724b

4月26日 大芦高原 ε180ED STL11000M  01h08m~ 北・南各 L:450s×6 R:G:B=10:10:10m 各5m(2bin) total exp.150分間

下の4/23の画像とは全く別の撮影。4/23の画角が気にいらなくて、M17を入れ、2枚モザイクで新たに撮り直したが、予定より西向きになっていた。南を撮り始めて気づいたが、月没から薄明開始まで、きちきちの時間だったので、やり直し不可だった。

処理では南の色が出ず、四苦八苦、気づいたら北とかけ離れた青っぽい色合いで、修正にまた手間取った。

始め、透明度の悪い空だと思っていたが、撮影しているうちに結構いい空になったのは意外で、うれしい誤算でした。

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2015年5月 4日 (月)

M24付近

F_s

 
          4月23日 大芦高原 ε180ED STL11000M  01h18m~ L:450s×11 R:G:B=20:1530m 各5m(2bin) total exp.147.5分間

 正解が分からず、迷いながら何度か画像を差し替えた。
 …が、ブログで表示すると、処理と違う色になっている気もしてきた。

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2015年5月 3日 (日)

鞍馬寺から貴船神社 Ⅱ

 
写真の容量が1記事につき1MBしかないので、記事を二つに分けています。
やはり、ブログのプロバイダー変更したいかなー。
 
そういえば、昨年のテレビで、真田幸村がテーマの番組があり、出演者の1人が、「日本人は真田幸村とか源義経が好きですね-、現代では浅田真央ちゃんでしょうか。」と言っていたのが記憶に残っている。
淀殿に作戦を阻まれたとはいえ、豊臣家への忠誠を尽くした幸村と、平家を滅ぼす大功をたてながら、頼朝に受け入れられず、最後には命も狙われる義経では大違いのように感じた。本来、バンクーバーでは金、ソチでもメダル相当の演技だったのに、ISUはじめ複雑な大人の事情で正当に評価されることのなかった浅田真央は義経に似ているといえるかもしれない。…おっと話が逸れてしまった。
 
源義経公背比石が、今回の山道で、高度が一番高い所だった。
ここから下りになるので楽なはずだったが、帰宅後ふくらはぎが痛かったのは、踏ん張りながら長い下りを歩いたせいだろう。
 
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杉の大木がうっそうと繁る僧正が谷。
伝教大師最澄が刻んだ不動明王が収められているという不動堂があり、道の反対側には義経堂が。
というわけで、鞍馬寺はもと天台宗だったが、近年になって鞍馬弘教となっている。
 
牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだのもこの辺とされる。
 
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『義経堂
歴史には文治五年(1189)四月、奥州衣川の合戦にて自害したと伝えるが、義経公の御魂はこの山におわし遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正のお働きを助けておられるという。この義経堂には遮那王尊をおまつりする。』とお札に書いてありました。
 
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奥の院魔王殿
650万年前、金星から舞い降りた魔王尊を祭っていると、イラストマップにあります。
鞍馬寺の創建は奈良時代、770年(宝亀1)鑑真和上の高弟鑑禎上人によるそうですが、この辺はもと磐座(いわくら)だったともいわれています。
 
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貴船川に向けて下り道が続き、足も痛くなってくる。
 
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西門を出て、貴船川の橋を渡ったところ。
川床はいま工事中だった。これから夏に向けて、この川床で涼みながら風流に食事ができるのだろう。
 
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貴船神社奥宮
貴船川沿いの道を上り、大杉並木の道を行くと奥宮に到着。
神武天皇の母・玉依姫が「黄船」に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡り当地に上陸、水神を祭ったことに始まると伝わる。黄船を小石で覆ったという「船型石」が境内にある。
 
川沿いの店に入り休憩・食事。
釜飯をたのんだら、運ばれてきてから蝋燭の火で炊き込むので、15分ほど待たねばならなかった。
 
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貴船神社の立派なご神木・桂の木
創建についてはっきりとしたことは分かっていないそうだが、社伝では反正天皇の時代(5世紀初め頃?)ということらしい。最古の記録は白鳳6年(666年)の社殿造替えとwikipediaにあるので、ともかく相当古くからあったことは間違いなさそう。
 
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バスで貴船口まで降り、叡山電車鞍馬線の電車で、戻る。
写真は貴船口の駅のホームからの眺め。

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鞍馬寺から貴船神社 Ⅰ

4月の新月期、四国への星見行きが天候のため流れ、京都に行くことになりました。

新幹線を京都で降り、京阪電車で出町柳。そこで叡山電車に乗り換えて、鞍馬寺へ。車窓からの景色はひと時代前に戻ったような、どこか懐かしい風景。遠くには比叡の山並みも見え、新緑に陽の光が透けて美しい風景が広がっていた。
 
Photo
 
レトロな駅舎を出ると、大きな天狗が迎えてくれました。牛若丸に武術を教えたという鞍馬の大天狗です。
 
歩いて行くと、甘酒や団子を食べられる茶店がならんでいて昭和の雰囲気。
 
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立派な仁王門。入山料として300円支払う。
ここを抜けると、ケーブルーカーで山登りとなるが、見どころの多そうな九十九折の路を選択。
 
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由岐神社
朱雀天皇の勅により、天慶3年(940年)、宮中から鞍馬の地に祭神を遷したという、鞍馬寺の鎮守社。
 
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いよいよ九十九折の登り路が始まる。
ケーブルカーをやめたとき、登り路は長くて大変と脅されていたので心配したが、さほどでもなかった。とはいえ日頃の無精がたたって、すぐに足がずんと重くなり、息が切れるのは情けない。
 
『近うて遠きもの…鞍馬のつゞらをりといふ道』―枕草子
 
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たどり着いた鞍馬寺金堂。
八重桜が咲いていたりで、のどかな境内。日常を忘れ癒やされる。
 
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境内から遠く比叡山も見える。
 
与謝野晶子の冬柏亭を見ながら、奥の院を目指す。
 
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「義経公息次ぎの水
牛若丸が、毎夜奥の院僧正が谷へ剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉をうるおしたといわれる。八百余年後の今も湧きつづけている。」と立て札にあります。
 
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源義経公背比石
奥州へ下る牛若丸が名残を惜しみ、背を比べたという石だそうです。
 
自ら元服して奥州に出発したのが承安4年・1174年、16歳だったと言われていて、11歳の頃、鞍馬に来たらしいので、5年間ほどここに居たことになる。伸び盛りで、ここを通るたびに石と自分の背丈を比べていたということか?
 
自分の出生の秘密を知り、平家への復讐を誓って、金売吉次の導きで奥州へと向かう。
挙兵した頼朝のもとに駆けつけるのは、この6年後のことだった。
 
 

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