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2016年5月11日 (水)

山の辺の道3

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↑ 大神神社から続く山辺の道。

森の中、木陰がここちよい。こんな道ならいつまでも歩いていたい。
三輪駅を出たところで、日本酒アイスクリームを食べたが、昼の弁当として、柿の葉寿司も買っていた。しかし、道縁に三輪そうめんがメニューのレストランがあり、休憩、体力回復を期して立ち寄ることに。


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↑ 玄賓庵
 
真言宗醍醐派の寺。平安時代、桓武・嵯峨天皇の時代、俗事を嫌い隠棲した玄賓僧都の庵。謡曲「三輪」の舞台。
 
この謡曲、時代はずっと下って室町以降の作でしょうが、三輪の神が女の姿で現れる。また、終わりのほうに「思えば伊勢と三輪。一体分身の御事今更何と岩倉や。」とある。俗にまみれ、目先の分別心に囚われている身としては、どう理解していいのか全く謎の謡です。


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↑ 桧原神社
 
元伊勢とも言われ、天照大神が伊勢に祀られる前にここに留まっていたとされる。
 
日本書紀・崇神紀によると、天照大神・倭大国魂の二神を天皇の御殿にお祀りしていたが、その神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し大和の笠縫邑に祀った。
そして垂仁紀では、天照大神を豊鍬入姫命からはなして、倭姫命に託し、倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀、近江、美濃と巡り、伊勢に入る。大神は伊勢を気に入り、ここにいたいと告げ、祠が伊勢に立てられ、斎宮が五十鈴川のほとりに立てられたとあります。
 
 この話、どうもひっかかりますねー。
出雲出身の三輪の神様、語り伝えられる話も豊富で、昔から信仰されてきたことがうかがえますが、対して天照大神は、民間の言い伝えとか、あまりないような気がします。天皇家が代々、内に秘して信仰してきたというならいいのですが。
 
巫女に連れられて、神様があちこち彷徨うというのもなにか変ですよね。
 
天照大神は、大日孁貴(おおひるめのむち)で、孁は女巫を意味し、もともとは神ではなく巫女だったとの説がありますが、考慮すべきことでしょう。
 
 溝口睦子著「アマテラスの誕生」によると、4世紀以前には、神と言えばオオクニヌシだった。しかし記紀神話により、オオクニヌシは地上の「国つ神」とされ、さらにその上に「天つ神」たるタカミムスヒやアマテラスが設定されたという。
 
 外来の太陽神であるタカミムスヒは5~7世紀、大和政権によって皇祖神、国家神とされ、そののち、律令国家成立の8世紀以降、アマテラスがそれにとってかわったというのである。非常にわかりやすく、説得力のある話だと思う。


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↑ 桧原神社から望む二上山
 
ベンチで休憩するところがあり、昼を食べた直後なのに、持っていた柿の葉寿司も荷物になるからと言って、食べることにする。
 
  大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬し時に、大来皇女の哀しび傷みて作りませる御歌
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む
 
いつだったか、NHKの歴史秘話ヒストリアという番組で、持統天皇を取り上げ、生涯夫・天武と一体で、夫の遺志を見事完成させたというような内容だったと記憶している。NHKの偏向報道は最近ますますひどいが、なんと古代のことまで、こんな気持ち悪い話をでっちあげるのかと呆れたことだった。
 
天武の本心は、大津皇子にあとを継がせたかったのではないか、后に遠慮して草壁を皇太子にしたとしても、実務では聡明な大津の手腕に期待したのではなかっただろうか。
大津を謀反の罪で死なせた時点で、持統は天武を完全に裏切ったと思う。
そもそも、持統、文武と皇位につくことに大いに無理があった。
この無理矢理な皇位継承を正当化するために、伊勢の神を天照大神としたのではないかという疑念が生じるのです。

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