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2016年5月

2016年5月25日 (水)

山の辺の道 4

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歩く道には山際の木陰が落ち、見晴らしもよい。
この道をどこまでも歩いていたい。

道縁には高市皇子の歌碑が。

神山の山辺真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に長くと思いき

十市皇女の死を悼む高市皇子の歌だが、異母姉弟の二人は恋愛関係にあったともいわれる。壬申の乱で追い詰められた大友皇子は山前に 身を隠し自死。物部連麻呂と一、二の舎人だけが従っていたといい、妃の姿はない。

 十市皇女の薨りましし時に、高市皇子の作りませる御歌三首
御諸の神の神杉夢のみに見えつつ共に寝ねぬ夜ぞ多き
神山の山辺真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に長くと思いき
山振りの立ち儀ひたる山清水酌みに行かめど道の知らなく


次の景行天皇陵の手前には額田王の歌碑も。

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや

当時、いかに三輪の山が親しまれていたかがわかります。


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↑渋谷向山古墳

古事記に、第12代景行天皇の陵は山辺道の上にあると記されており、山邊道上陵として、景行天皇陵に治定されている。
江戸時代には崇神天皇陵と思われていたとあります。
墳丘の全長が300mで、全国8位の大きさです。


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↑行灯山古墳

古事記に、第10代崇神天皇の陵は山辺道の勾の岡の上にあると記され、山邊道勾岡上陵として、崇神天皇陵に治定されている。
先行9代の天皇は伝説上の存在とされるので、実在する初代の天皇と考えられている。

周濠がしっかり残っている(再現された?)ので、大規模なものに見えるが、墳丘の大きさは242mで、全国16位の大きさ。
上空から見た写真では後方部が短く、帆立貝のような形にも見える。
参道縁に一目で古墳とわかる陪塚がある。

山の辺の道は、木陰のある場所はよかったが、日の光を直接浴びるようになって、心配したとおりかみさんが再び不調に。
目標は石上神社までだったが、今回はここで断念。ちょうど天理行きのバスがあり、それで引きあげることになりました。

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2016年5月13日 (金)

東京オリンピック招致に不正疑惑

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↑ 5月13日 山陽新聞朝刊

英紙ガーディアンが、東京オリンピック招致に不正な金が支払われ、電通も関与か?と報じていたが、12日、フランスの司法当局もこの件に関し捜査を始めたとのこと。開催都市決定の前後に日本からIOC前会長に2億2300万円相当の額が払い込まれたという。
  
日本国内に自浄作用がないのは情けない限りで、テレビ報道は、この件をほとんど報道してないのではないかと思うが、フランスであれ、イギリスであれ、徹底した事実の解明をやってほしい。


Fifa
 
↑ 「電通とFIFA」

先のサッカーワールドカップの放映権料は確か、400億という異常な額だった。

先の国会、NHKの予算審議では、片山虎之助がオリンピック4大会で1100億円の放映権料に言及していたが、結局予算案に賛成したらしい。
NHKの籾井会長はNHKの受信料値下げに反対しているが、今や電通の子会社化した観のあるNHK、電通の貴重な財源を減らすことはまかりならんということでしょうか。

ちなみに、自民党のPRは電通の担当ですが、自民党と電通は持ちつ持たれつ、NHKをはじめ、互いにいろいろと便宜を図っているのでしょうか?
 
電通、国の補助金応募審査の"怪"  http://biz-journal.jp/2013/06/post_2261.html
 
安倍首相が代表を務める自民党山口県支部に、電通が、10万を寄付したが、電通は農水省から補助金を受けていて不適切な寄付だったと問題になったのは昨年のことだった。
 
東日本大震災後に、被災地を食べて応援のキャンペーン等で、平成23年度、電通が農水省から受け取った広告宣伝費は70億超だったとか。
被災地を応援どころか、食いものにしたキャンペーンだったのですね。 
 
 
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↑ テレビ現場からの告発! 安倍政治と言論統制
 
そういえば、扶桑社から出版されたばかりの「日本会議の研究」(扶桑社新書) 、どこでも、買うことができなくなっているようです。
 
当の日本会議が扶桑社に出版中止を求めたと報じられています。 著者は記事の内容には自信があると言っているのですが、扶桑社があっさりと出版中止を受け入れたのでしょうか?
 
(Amazonで、新品は売られていませんが、出品者がいて、元は864円の本に、4,970~15,000円の値がついています。扶桑社はフジテレビの子会社ですね。発禁で話題づくりして中古本でがっぽり儲けようという魂胆では…まさかないですよね? 笑)

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2016年5月11日 (水)

山の辺の道3

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↑ 大神神社から続く山辺の道。

森の中、木陰がここちよい。こんな道ならいつまでも歩いていたい。
三輪駅を出たところで、日本酒アイスクリームを食べたが、昼の弁当として、柿の葉寿司も買っていた。しかし、道縁に三輪そうめんがメニューのレストランがあり、休憩、体力回復を期して立ち寄ることに。


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↑ 玄賓庵
 
真言宗醍醐派の寺。平安時代、桓武・嵯峨天皇の時代、俗事を嫌い隠棲した玄賓僧都の庵。謡曲「三輪」の舞台。
 
この謡曲、時代はずっと下って室町以降の作でしょうが、三輪の神が女の姿で現れる。また、終わりのほうに「思えば伊勢と三輪。一体分身の御事今更何と岩倉や。」とある。俗にまみれ、目先の分別心に囚われている身としては、どう理解していいのか全く謎の謡です。


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↑ 桧原神社
 
元伊勢とも言われ、天照大神が伊勢に祀られる前にここに留まっていたとされる。
 
日本書紀・崇神紀によると、天照大神・倭大国魂の二神を天皇の御殿にお祀りしていたが、その神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し大和の笠縫邑に祀った。
そして垂仁紀では、天照大神を豊鍬入姫命からはなして、倭姫命に託し、倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀、近江、美濃と巡り、伊勢に入る。大神は伊勢を気に入り、ここにいたいと告げ、祠が伊勢に立てられ、斎宮が五十鈴川のほとりに立てられたとあります。
 
 この話、どうもひっかかりますねー。
出雲出身の三輪の神様、語り伝えられる話も豊富で、昔から信仰されてきたことがうかがえますが、対して天照大神は、民間の言い伝えとか、あまりないような気がします。天皇家が代々、内に秘して信仰してきたというならいいのですが。
 
巫女に連れられて、神様があちこち彷徨うというのもなにか変ですよね。
 
天照大神は、大日孁貴(おおひるめのむち)で、孁は女巫を意味し、もともとは神ではなく巫女だったとの説がありますが、考慮すべきことでしょう。
 
 溝口睦子著「アマテラスの誕生」によると、4世紀以前には、神と言えばオオクニヌシだった。しかし記紀神話により、オオクニヌシは地上の「国つ神」とされ、さらにその上に「天つ神」たるタカミムスヒやアマテラスが設定されたという。
 
 外来の太陽神であるタカミムスヒは5~7世紀、大和政権によって皇祖神、国家神とされ、そののち、律令国家成立の8世紀以降、アマテラスがそれにとってかわったというのである。非常にわかりやすく、説得力のある話だと思う。


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↑ 桧原神社から望む二上山
 
ベンチで休憩するところがあり、昼を食べた直後なのに、持っていた柿の葉寿司も荷物になるからと言って、食べることにする。
 
  大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬し時に、大来皇女の哀しび傷みて作りませる御歌
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む
 
いつだったか、NHKの歴史秘話ヒストリアという番組で、持統天皇を取り上げ、生涯夫・天武と一体で、夫の遺志を見事完成させたというような内容だったと記憶している。NHKの偏向報道は最近ますますひどいが、なんと古代のことまで、こんな気持ち悪い話をでっちあげるのかと呆れたことだった。
 
天武の本心は、大津皇子にあとを継がせたかったのではないか、后に遠慮して草壁を皇太子にしたとしても、実務では聡明な大津の手腕に期待したのではなかっただろうか。
大津を謀反の罪で死なせた時点で、持統は天武を完全に裏切ったと思う。
そもそも、持統、文武と皇位につくことに大いに無理があった。
この無理矢理な皇位継承を正当化するために、伊勢の神を天照大神としたのではないかという疑念が生じるのです。

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2016年5月 8日 (日)

山の辺の道 2

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↑ メクリ1号墳跡
 
埋蔵文化財センターの受付で、館跡を聞いたら、この場所とのことだったが、あとでパンフを見たら、ここはメクリ1号墳跡だった。
 
木製の仮面もこの近くから発掘されている。
 
メクリ1号墳は纏向で確認された唯一の前方後方墳とのこと。墳丘の全長は28m、3C後半の築造だそう。
 
纏向には広範囲から人々が集まってきているが、前方後方墳というと、出雲、あるいは日本海寄りの地域から来た人によって作られたということかもしれない。
 
 
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↑ 巻向駅
 
館跡はこの線路のすぐ横だった。無人駅で、南の三輪へ電車で戻るところ。
 
ところで、ここですでに大きな誤算が。
今回、長い道のりを歩くが、かみさんより私のほうが先にくたばると思っていた。なので、私が歩けている内はかみさんの心配は不要と思い込んでいたのだが、かみさんが調子悪いと言い出した。
 
桜井から巻向まで6~7km程か、日差しがきつくて参ってしまったらしい。
山の辺の道はこれからなのに困ったことになった。こんなことならはじめから山の辺の道だけにしておけばよかったと後悔するが後の祭り。
 
  
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↑ 三輪山平等寺
 
伝聖徳太子開基。鎌倉時代に慶円上人(三輪上人)によって三輪社奥の院として栄えたとあります。
 
この辺り、心地よい木陰のある道で、歩きやすく、体調も回復してほしいところです。

 
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↑ 大神神社   (クリック拡大)
 
はやくも、大神神社に到着。
 
境内の巳の神杉は樹齢500年とも言われ、蛇の好物の卵や酒がお供えしてあった。
 
三輪山がご神体なので、本殿はなく、拝殿を通して三輪山を拝むようになっている。
 
『ここに大國主神、愁ひて告りたまひしく、「吾獨して何にかよくこの國を得作らむ。孰れの神と吾と、能くこの國を相作らむや。」とのりたまひき。この時に海を光して依り來る神ありき。その神の言りたまひしく、「よく我が前を治めば、吾能く共與に相作り成さむ。若し然らずは國成り難けむ。」とのりたまひき。ここに大國主神曰ししく、「然らば治め奉る狀は奈何にぞ。」とまをしたまへば、「吾をば倭の青垣の東の山の上に拜き奉れ。」と答え言りたまひき。こは御諸山の上に坐す神なり。』―古事記
 
『これから後、国の中でまだ出来上らない所を、大己貴命が一人でよく巡り造られた。ついに出雲国に至って、揚言していわれるのに、「そもそも葦原中国は、もとから荒れて広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。けれども私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない」と。そして「今この国を治めるものはただ私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか」と。そのとき不思議な光が海を照らして、忽然として浮かんでくるものがあった。「もし私がいなかったら、お前はどうしてこの国を平らげることができたろうか。私があるからこそ、お前は大きな国を造る手柄を立てることができたのだ」と。このとき大己貴神は尋ねていわれるのに、「ではお前は何者か」と。答えて「私はお前に幸いをもたらす不思議な魂―幸魂・奇魂―だ」と。
 大己貴命が「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂奇魂です。今どこに住みたいと思われますか」と。答えていわれる。「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と。そこで宮をその所に造って、行き住まわせた。これが大三輪の神である。』―日本書紀・宇治谷孟訳

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2016年5月 7日 (土)

山の辺の道

快晴の5/4、かみさんの誘いで山の辺の道に行きました。

新幹線を新大阪で降り、JRで大阪乗り換え外環状で鶴橋まで、近鉄大阪線急行に乗り換えて桜井に到着しました。 桜井線で三輪まで行こうとしたのですが、電車の待ち時間が長く、歩くことに。

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↑大和川から三輪山を眺める

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↑大神神社の参道入り口にある大鳥居

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↑桜井市立埋蔵文化財センター 木製仮面 (3C前半)

纏向遺跡を見たいが、様子が分からないので、まず埋蔵文化財センターに寄ってみる。

この木製の仮面は、鍬の刃を流用したもので、口の穴は鍬の柄を通すところだったらしい。用途は不明だが、祭祀なら、卑弥呼が使った可能性も。あくまで可能性だが。

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↑桜井市立埋蔵文化財センター 盾持人埴輪 (4C後半?) 茅原大墓古墳から出土。

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↑箸墓古墳  (二枚合成だが、電柱等つながってません、photoshopさん、頼みますよ)

「この後に、倭迹迹日百襲姫命、大物主の神の妻と為りたまひき。然るにその神常に昼は見えずして、夜のみ来ましつ。倭迹迹姫命、夫に語りて曰はく、「君常に昼に見えまさねば、分明にその尊顔を視ることを得ず。願わくは暫留りたまへ。明旦に、仰ぎて美麗しき威儀を観ま欲し」といふ。大神対へて曰はく、「言理灼然なり。吾明旦に汝が櫛笥に入りて居らむ。願わくは吾が形にな驚かしそ」といふ。爰に倭迹迹姫命、心の裏に密かに異み、明くるを待ちて櫛笥を観れば、遂に美麗しき小虵(こおろち)あり。その長さ太さ衣紐の如くなりしかば、驚きて叫び啼きき。時に大神恥ぢて、忽に人の形と化り、その妻に謂りて曰はく、「汝、忍びずて、吾に羞見せつ。吾還りて汝に羞見せむ」といひて、仍りて大虚を践みて三諸山に登りたまひき。ここに倭迹迹姫命、仰ぎ見て悔いて急居。箸にて陰を撞きて薨りましき。すなわち大市に葬めまつる。故、時人その墓を号けて箸の墓と謂ふ。この墓は、日は人作り、夜は神作りき。」(日本書紀/崇神紀)
倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の姑(おば)と書紀にあります。

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2016年5月 6日 (金)

吉備路観望会

 
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ほんとに久しぶりの星空です。観望会の会場から、少し歩いてみました。   こうもり塚古墳ですが、昔は黒姫塚古墳と言われていて、ここで撮るときはいつも、無理を承知で黒姫が玄室から私の前に姿を現してくれないかと妄想している。
 
 
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  備中国分寺です。

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