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2016年5月 8日 (日)

山の辺の道 2

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↑ メクリ1号墳跡
 
埋蔵文化財センターの受付で、館跡を聞いたら、この場所とのことだったが、あとでパンフを見たら、ここはメクリ1号墳跡だった。
 
木製の仮面もこの近くから発掘されている。
 
メクリ1号墳は纏向で確認された唯一の前方後方墳とのこと。墳丘の全長は28m、3C後半の築造だそう。
 
纏向には広範囲から人々が集まってきているが、前方後方墳というと、出雲、あるいは日本海寄りの地域から来た人によって作られたということかもしれない。
 
 
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↑ 巻向駅
 
館跡はこの線路のすぐ横だった。無人駅で、南の三輪へ電車で戻るところ。
 
ところで、ここですでに大きな誤算が。
今回、長い道のりを歩くが、かみさんより私のほうが先にくたばると思っていた。なので、私が歩けている内はかみさんの心配は不要と思い込んでいたのだが、かみさんが調子悪いと言い出した。
 
桜井から巻向まで6~7km程か、日差しがきつくて参ってしまったらしい。
山の辺の道はこれからなのに困ったことになった。こんなことならはじめから山の辺の道だけにしておけばよかったと後悔するが後の祭り。
 
  
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↑ 三輪山平等寺
 
伝聖徳太子開基。鎌倉時代に慶円上人(三輪上人)によって三輪社奥の院として栄えたとあります。
 
この辺り、心地よい木陰のある道で、歩きやすく、体調も回復してほしいところです。

 
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↑ 大神神社   (クリック拡大)
 
はやくも、大神神社に到着。
 
境内の巳の神杉は樹齢500年とも言われ、蛇の好物の卵や酒がお供えしてあった。
 
三輪山がご神体なので、本殿はなく、拝殿を通して三輪山を拝むようになっている。
 
『ここに大國主神、愁ひて告りたまひしく、「吾獨して何にかよくこの國を得作らむ。孰れの神と吾と、能くこの國を相作らむや。」とのりたまひき。この時に海を光して依り來る神ありき。その神の言りたまひしく、「よく我が前を治めば、吾能く共與に相作り成さむ。若し然らずは國成り難けむ。」とのりたまひき。ここに大國主神曰ししく、「然らば治め奉る狀は奈何にぞ。」とまをしたまへば、「吾をば倭の青垣の東の山の上に拜き奉れ。」と答え言りたまひき。こは御諸山の上に坐す神なり。』―古事記
 
『これから後、国の中でまだ出来上らない所を、大己貴命が一人でよく巡り造られた。ついに出雲国に至って、揚言していわれるのに、「そもそも葦原中国は、もとから荒れて広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。けれども私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない」と。そして「今この国を治めるものはただ私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか」と。そのとき不思議な光が海を照らして、忽然として浮かんでくるものがあった。「もし私がいなかったら、お前はどうしてこの国を平らげることができたろうか。私があるからこそ、お前は大きな国を造る手柄を立てることができたのだ」と。このとき大己貴神は尋ねていわれるのに、「ではお前は何者か」と。答えて「私はお前に幸いをもたらす不思議な魂―幸魂・奇魂―だ」と。
 大己貴命が「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂奇魂です。今どこに住みたいと思われますか」と。答えていわれる。「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と。そこで宮をその所に造って、行き住まわせた。これが大三輪の神である。』―日本書紀・宇治谷孟訳

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